日本臨床(増刊号)「新前立腺癌学」に
前立腺癌の治療 外科療法 (1)外科療法の進歩 の項を執筆しました。
以下一部抜粋
前立腺癌病学 - 外科治療の進歩
原林 透
癌一般に対する外科 的治療は、体内に侵入し対象物に到達し、肉眼では見えない癌細胞におかされた臓器あるいは部位を除去するという作業である。これらは侵襲的であり不確実である。「約束の一ポンドの肉をきっかり切り取ってもよいが、一滴の血でも流せば全財産没収である(ベニスの商人)」という無理難題を克服する歩みが外科治療の進歩である。
局所前立腺癌に対する治療として最も根治性が高いのは外科的切除術である。しかしながら、前立腺全摘除術は、切除マージンの安全域がもっとも小さい癌外科手術のひとつといえる。前立腺尖部には外尿道括約筋が入り込んでいる。尖部腹側には境界なく陰茎背静脈叢が接している。前立腺近位部では輪状膀胱筋が接している。勃起神経は前立腺被膜の一層外側の層を走行しており、その距離は1mmもない。しかも、癌の好発部位は、尖部、辺縁域の被膜近傍である。このような中で、きっかり一ポンドの肉(前立腺癌)を一滴の血も流さず(合併症なし)で切り取ることが前立腺癌外科治療の目的地である。
これまでの前立腺手術の変化と進歩を振り返り、今後の進歩を考えたい。
1)到達方法の進歩(開放手術から腹腔鏡手術、単孔、ロボット支援手術へ、会陰式、恥骨後式、経ダグラス式、図1)
成書に前立腺全摘除術が初めて記載されたのは、1904年Youngによってである。この際のアプローチは会陰部を縦切開し前立腺後面から到達するもの(会陰式)であった。もっとも骨盤底に位置する臓器に対して会陰から到達するのは妥当な方法ではあったが、恥骨の間隙の非常に狭い術野での手術であり、尿失禁に加え、創感染、便失禁のリスクがあった。1947年にはMillinにより下腹部正中切開で恥骨後面から到達する方法(恥骨後式順行性前立腺剥離)が始まったが、陰茎背静脈叢からの大量出血がしばしばであった。
前立腺癌外科治療に最も貢献したのは、1979年のWalshらの報告である。[1] 恥骨後式で内骨盤筋膜直下の尿道直上で陰茎背静脈叢を最初に結紮することで出血のコントロールを行い逆行性に前立腺を剥離する方法を確立した。また、新鮮献体解剖により、骨盤神経叢と前立腺外側五時七時を走行する海綿体神経を同定し、勃起能の温存術式も報告した。この術式は世界に広く受け入れられ、1990年以降Prostate Specific Antigen (PSA)によって多数早期診断される限局性前立腺癌に対する標準的治療となった。
1985年胆嚢摘出術に始まった腹腔鏡手術は泌尿器科領域にも次第にひろがったが、前立腺癌手術が確立したのは1999年Guilloneau(仏)らによる。[2]創小さく拡大視野手術ができる腹腔鏡であるが、術野と鉗子の運動制限のためWalshの逆行性アプローチ方法では困難であった。かれらは、経腹膜的に到達し後面のダグラス窩から精嚢精管を、前面のレチウス腔から膀胱頸部と血管茎を順行性に剥離することで定型化した。順行性剥離の再登場である。気腹圧により静脈叢が圧迫され出血量が減り、前立腺尖部処理が良好な視野でできるようになった。しかし、これまでの腹腔鏡手術になかった縫合操作を必要とするため長時間を要することが問題であった。当時日本では新規導入施設で長時間出血多量手術によって生じた死亡事故が刑事事件となり医師が逮捕されるという大きな社会問題に発展したのは記憶に新しい。そのため、保険収載後も厳密な施設認可が必要とされ国内での普及は緩慢であった。そのような状況でもさらに切開創を小さくすべく単孔式手術へと進む歩みもあった。
欧州で腹腔鏡手術が普及する一方、米国ではロボット支援手術が普及した。心臓血管外科用に開発されたロボットであるが、もっとも威力を発揮したのは前立腺手術であった。7方向の可動性をもつロボットアーム先端のマニュピレ ータは狭い骨盤底でも容易に切開、剥離、縫合が可能で、短期間の学習曲線で手術の習得が可能となった。日本にも2000年に導入され治験が行われたが、薬事承認を得るまでに9年を要した。2012年に保険適応となると一気に全国で導入され、2014年には世界第二位のロボット保有国となり、全国で8000件あまりのロボット支援前立腺手術が施行されている。
ロボットによって新たなアプローチが登場した。単孔式プラットフォームを活用し会陰からのアプローチと経腹膜的にダグラス窩からアプローチする方法である。[3]前立腺前面腹側には、恥骨前立腺靱帯、陰茎背静脈叢とそれに続く膀胱前面の線維筋性組織があり、利尿筋エプロンと呼ばれ、尿禁制に寄与している。これらのアプローチでは、この構造を破壊せずに前立腺を摘出できる。深部操作の得意なロボットの特長をいかした術式の再登場である。
2)解剖学的構造の理解の進歩(陰茎背静脈叢、神経血管束、恥骨前立腺靱帯、括約筋、膀胱頸部、利尿筋エプロン)
Walshらによって前立腺尖部の解剖が明らかとなったが、術後尿失禁はなくすことができず、1-40%の症例で尿失禁は長期遷延する。外尿道括約筋は単独に尿道周囲に存在するのではなく、背側の正中線維縫線から膜様部尿道を取り囲み、周囲被膜に癒合し前方の恥骨前立腺靱帯に連続し、一部は前立腺内にはいりこんでいることが新鮮凍結献体の研究から判明している。[4]陰茎背静脈叢からの出血をコントロールし、これらの構造を最大限温存することが重要である。また、膀胱頸部の内尿道輪状筋も受動的尿禁制に寄与する。また、前述のように利尿筋エプロンも重要な構造と考えられている。
海綿体神経は、神経血管束とされたシンプルなものではなく、前立腺被膜外側を幅広く走行していることが明らかになった。[5]電気的にも前立腺のほぼ全周を神経が取り巻いていることが示された。[6] これらの知見から、現在の神経温存手術の主流は、前立腺五時七時の領域だけでなく、12時を除くほぼ全周の神経網をふくむ構造を温存するものである。神経血管網は前立腺被膜と外側の多重被膜の間を走行しており、同側の癌の被膜外浸潤のリスクによって前立腺被膜に沿った被膜内剥離(グレード1)、神経を含む層の内側(グレード2)、外側骨盤筋膜に沿った剥離(グレード3)、肛門挙筋筋膜外での剥離(グレード4)の4通りの剥離パターンを使い分ける。低リスク癌であれば両側ともグレード1の剥離ラインでの神経温存が可能である。(図2)[7]
腹腔鏡手術では、気腹により骨盤内の静脈性出血が低減されるとともに、膜構造が伸展され層が視認しやすくなった。これまで新鮮献体でなければ得られなかった膜構造の知見が実臨床の場で得られるようになった。ロボット支援手術では、ハイビジョン3D画像によってより高度な膜構造の認識と精密な剥離が可能である。このような海綿体神経温存の改善によって術後勃起能の成績は年々改善傾向がみられている。また、従来否定的であった尿禁制回復についても、術後6ヶ月まではプラスの効果が示された。[8]これらのことから、既に性機能低下がある患者においても、癌の進展リスクに応じて神経温存の剥離ラインがとられる傾向にある。
4)再建方法の進歩(膀胱尿道吻合、後壁補強、前壁吊上補強、全周再建)
現状では上記のような周囲構造の温存を行っても術後尿失禁が一定頻度生ずる。その改善をはかる目的で再建術に多くの工夫がおこなわれている。吻合部を恥骨前立腺靱帯に縫合し吊り上げる方法、膀胱頸部を内骨盤筋膜に縫合し吊り上げる方法、後壁のデノビエ筋膜を補強縫合する方法(Rocco法)、これらを全周性に行う方法、膀胱頸部を縫縮する方法などである。これら再建術の効果のメタアナリシス解析では、前壁後壁を補強する全周再建法を行うと術後1ヶ月時点の尿禁制が有意に良好とされている。[9]
5)局所解剖の認識の進歩(MRIによる癌病巣の同定、術中超音波(USG)による同定、術前画像データと術野画像の融合augmented realityの導入、拡大鏡による拡大視野)
癌外科療法の治療成績をみる意味では、全生存率がもっとも重要であるが、前立腺癌は経過が長いため、癌なし生存としてPSAの再上昇を伴わない生存率(生化学的非再発生存率)、手術摘出標本での切除断端陰性が評価項目として用いられる。術中に肉眼的に癌病巣を視認することは困難であり、術前画像、生検の情報の把握が重要である。
前立腺癌は、従来画像にとらえにくい癌とされていたが、近年の核磁気共鳴画像(MRI)の進歩により感度が上昇し、治療方針の決定に有用なツールとなった。生検データとあわせ被膜外浸潤部位を把握し部位ごとに適切な剥離ラインをとることができる。術中の直腸エコーによるナビゲーションは切除断端陽性率の低下に役立っている。ロボットシステムに接続固定し術者鉗子を自動追尾する装置も開発中である。
MRI、生検による癌局在部位を視野に重ねあわせる試み(Augmented reality、拡張現実)も進行中である。刻々と移動し臓器の変形する術野画像にあわせることがまだ容易ではないが、いずれ臨床で実用的になるものと思われる。
7)ロボット手術の優位性
前立腺癌手術の質をきめる項目として、尿禁制、勃起能、PSA無再発の三項目を達成することに加え、術後合併症なし、切除断端陰性の五項目を満たすことが達成すべき目標とされている[10]。近年、ロボット手術を中心に、従来の開腹手術、腹腔鏡手術との比較のメタアナリシスがいくつか発表された。表1に示すように、手術時間、術後合併症には三者の差を認めないが、出血量、輸血率はロボット手術が有意に少なかった。[11]切除断端陽性率、1年時点の尿禁制、勃起能においては、開腹手術よりもロボット手術が良好であった。[12][13]コストの問題が残されているが、ロボット手術の優位性は揺るがないものとなってきている。
おわりに
ここ30年の間に前立腺癌外科治療のアプローチは大きく変わった。前立腺癌の生物学的特性、尿禁制機構、勃起機構には不明なところがありいまだ完成形ではない。しかしながら、今後も地道な解剖学研究、神経学研究に加え、あらたなテクノロジーにより、一滴の血も流さずにきっかり一ポンドの肉をきりとるような外科治療に近づいて行くことは間違いないことと思われる。